膵臓内分泌腫瘍という稀な謎の腫瘍ができてしまった私の記録です。少しでも誰かのお役に立てれば…。
(※専門家ではないので、書いてあることのすべてが正しいわけではありません。主観も入りまくりです)
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とうとう手術の日が来た!!
明け方下剤が効いてトイレに行ったが、更にかんちょうを打って出した。
やっぱり緊張はしない。
ゆったりと過ごし、浴衣に着替え、家族が来てボチボチ話をし、7時40分手術室へ歩いて向かう。
手術室の前で家族と主治医が挨拶をし、「手術中」とかかれたランプが点灯する、というドラマのような展開を想像していたのだが、手術室どころか、手術室のある階に止まったエレベータでお別れだった。ちょっと拍子抜け。
手術室は、同時に何件も手術が行われるらしく、私の前にも2人座って順番を待っていた。
名前を確認し、看護士さんと別れ、ストレッチャーに乗せられ準備室に運ばれる。準備室での、ストレッチャーに乗って順番待ちをしている患者さんたちの姿はとてもシュールだった。そこで、麻酔科の先生と、担当看護士さんとあいさつをし、手術室へ運ばれた。
手術室は雑然とした感じだった。生理整頓されてる感じではない。血圧計を付けたり、指に何か付けたりしたいるうちに執刀医がひょうひょうと登場。このパソコン使っていい?みたいな、今そういうこと確認する?みたいなゆるさがただよう準備時間。脊髄の数を数え、麻酔を打つ場所を確認したりして、なんやかんやで気を失ってた。
覚醒する直前になにか夢を見た気がする。
呼ばれて起きたら手術が終わってた。と同時にものすごい震えと肩の痛みが!
もう執刀医の姿はなく、麻酔科の先生と看護士の2人しかおらず、今の状態を説明してくれていた。
とにかく震えが止まらず、全身の筋肉に力が入って痛くて痛くてたまらない。とくにあご。「力を抜いて」といわれても、震えを抑えることはできない。これは、手術中に体温が下がっていたことと、麻酔で脳の体温管理の場所がちゃんと働いてないせいで、必死で体温を上げようとしているせいだそう。
肩の痛みは、7時間もの長い間、同じ姿勢でいたせいで肩こり状態になっているそう。
どちらも辛い!辛い!電気毛布であっためてもらっていたが、人生で一番辛い経験はこれだ!と思っていた。
そんな中、先生と看護士はスラムダンクの話とか、俺看護士に向いてないんじゃないかとか、そんなお気楽な話とかしていた。この辛さをなんとかして!!!手術する側は日常茶飯事なのだ。
しばらく手術室にいたあと、病室に戻るとのこと。こんなみっともない状態を家族に見られたくないと思ったが、意思も伝えられず、運ばれて行った。
家族に会った。震えがだんだん治まって来たので、とにかく肩が痛いと訴え、痛み止めの座薬を打ってもらい、肩の痛みもなくなった頃、やっと話せるようになった。痰が絡んで話す気にもならないけど、家族は先生に、話をするように言われたらしい。
先生の予定では4時間くらいで終わると思っていたが、想定外に珍しい腫瘍だったため調べものをしたこと、脾臓への血管の数が多かったことで、結局7時間近くかかったと聞かされた。で、手術後腫瘍を見せられたとも。
(私も見たかった)
とにかく成功してよかった!家族や先生や励ましてくれた人たちに感謝!!
その後はストレスフルでイライラしっぱなしだった。
ベッドでの居場所が定まらない。どういうかっこをしても寝苦しい。
管は5本出て絡まりそうだし、術後の正しい反応なのだが、38度近い熱が出たため、飲んだ解熱剤のせいで汗をかくし、浴衣はチクチクするし、管を止めてるテープはかゆいし、痰はからむし、酸素マスクはうざいし、このみすぼらしい姿を家族に見られているし・・・、
術後の辛さはお腹を切られた痛みではなく、それ以外の細かいストレスの集まりなんだとわかった。
この状態で明日のお昼まで安静にしていなければならないのかと思うと気が滅入る…。
明け方下剤が効いてトイレに行ったが、更にかんちょうを打って出した。
やっぱり緊張はしない。
ゆったりと過ごし、浴衣に着替え、家族が来てボチボチ話をし、7時40分手術室へ歩いて向かう。
手術室の前で家族と主治医が挨拶をし、「手術中」とかかれたランプが点灯する、というドラマのような展開を想像していたのだが、手術室どころか、手術室のある階に止まったエレベータでお別れだった。ちょっと拍子抜け。
手術室は、同時に何件も手術が行われるらしく、私の前にも2人座って順番を待っていた。
名前を確認し、看護士さんと別れ、ストレッチャーに乗せられ準備室に運ばれる。準備室での、ストレッチャーに乗って順番待ちをしている患者さんたちの姿はとてもシュールだった。そこで、麻酔科の先生と、担当看護士さんとあいさつをし、手術室へ運ばれた。
手術室は雑然とした感じだった。生理整頓されてる感じではない。血圧計を付けたり、指に何か付けたりしたいるうちに執刀医がひょうひょうと登場。このパソコン使っていい?みたいな、今そういうこと確認する?みたいなゆるさがただよう準備時間。脊髄の数を数え、麻酔を打つ場所を確認したりして、なんやかんやで気を失ってた。
覚醒する直前になにか夢を見た気がする。
呼ばれて起きたら手術が終わってた。と同時にものすごい震えと肩の痛みが!
もう執刀医の姿はなく、麻酔科の先生と看護士の2人しかおらず、今の状態を説明してくれていた。
とにかく震えが止まらず、全身の筋肉に力が入って痛くて痛くてたまらない。とくにあご。「力を抜いて」といわれても、震えを抑えることはできない。これは、手術中に体温が下がっていたことと、麻酔で脳の体温管理の場所がちゃんと働いてないせいで、必死で体温を上げようとしているせいだそう。
肩の痛みは、7時間もの長い間、同じ姿勢でいたせいで肩こり状態になっているそう。
どちらも辛い!辛い!電気毛布であっためてもらっていたが、人生で一番辛い経験はこれだ!と思っていた。
そんな中、先生と看護士はスラムダンクの話とか、俺看護士に向いてないんじゃないかとか、そんなお気楽な話とかしていた。この辛さをなんとかして!!!手術する側は日常茶飯事なのだ。
しばらく手術室にいたあと、病室に戻るとのこと。こんなみっともない状態を家族に見られたくないと思ったが、意思も伝えられず、運ばれて行った。
家族に会った。震えがだんだん治まって来たので、とにかく肩が痛いと訴え、痛み止めの座薬を打ってもらい、肩の痛みもなくなった頃、やっと話せるようになった。痰が絡んで話す気にもならないけど、家族は先生に、話をするように言われたらしい。
先生の予定では4時間くらいで終わると思っていたが、想定外に珍しい腫瘍だったため調べものをしたこと、脾臓への血管の数が多かったことで、結局7時間近くかかったと聞かされた。で、手術後腫瘍を見せられたとも。
(私も見たかった)
とにかく成功してよかった!家族や先生や励ましてくれた人たちに感謝!!
その後はストレスフルでイライラしっぱなしだった。
ベッドでの居場所が定まらない。どういうかっこをしても寝苦しい。
管は5本出て絡まりそうだし、術後の正しい反応なのだが、38度近い熱が出たため、飲んだ解熱剤のせいで汗をかくし、浴衣はチクチクするし、管を止めてるテープはかゆいし、痰はからむし、酸素マスクはうざいし、このみすぼらしい姿を家族に見られているし・・・、
術後の辛さはお腹を切られた痛みではなく、それ以外の細かいストレスの集まりなんだとわかった。
この状態で明日のお昼まで安静にしていなければならないのかと思うと気が滅入る…。
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